ペケマサ自伝 その7
アニソンリクエスト番組である。
ペケキングが小学生の頃から聴き始め、
老後の年金が見込めないなぁ、と
うな垂れる現在までもまだ、続いている長寿番組である。
ラジオ関西が震災後の仮設トイレの話を
番組でしていたので、
1996年あたりだろうか。
ゲスト・山本正之 の回があった。
このブログの1000万倍くらい熱い気持ちで
ハガキを書き(若かった)、
採用された。
放送で、
双眼鏡で手元見ても毎回変わるから意味ないよ
みたいな回答があって、シビビーン!って思った。
1~2年後のゲストの回。
ラジメニア翌日にサイン会か何かがあって、
そこで、コードを押さえる左指のコツ を教えていただいた。
今でもギターを鳴らすときが楽しい。
ペケマサ自伝 その6
1995年1月、
「アノ世ノ果テ」発売コンサートは
阪神大震災で中止だった。
京都の会場へ向かえる人は、直接マサユキ先生と握手できた。
これが僕の、山本正之初体験。
ここから、
大阪、京都、名古屋、東京、帯広、
と、山本正之オリジナルコンサートに参加していく。
初めて自分で新幹線に乗ったのも、
夜行バスも、飛行機も、
マサユキ先生だ!
だけど飛行機恐怖症すぎて
ニューヨークには行けなかった。
初めて東京で観たコンサートは
イイノホールだった。
初めて新宿朝日生命ホールで観たコンサートは
日帰りじゃないとダメだったので、
名犬コロスケの唄 までで帰らないといけなかった。
グランドスタンダードショーの日は
台風が近付いていたんだっけ、
と、台風の日に書きながら思い出した。
ペケマサ自伝 その5
1991年のタイムボカン名曲大全
1992年のライブ盤とクラシックギター
1993年はヤマハのフォークギターを手に入れ
初のコンサートに参加した。
アルバム「鐘ノネ響キテ」発売に合わせて開催された
東名阪ツアー。
5月10日 近鉄小劇場。
開場前の待ち列、
開場後の客席、
ステージを照らす緑系照明、
いくちゃん、かめちゃん、マックス君。
覚えてるなぁ。
このコンサートの翌日から
僕は修学旅行だった。
佐賀で湯飲み絵付け体験があって、
そこに「鐘ノネ響キテ」のジャケ絵を移し描いた。
湯飲みが見つかれば画像を貼り付けたい。
同年末、才能の遺跡ライブで近鉄劇場。
手元にレポート用紙、
片手に双眼鏡、
コード進行を書き取りはじめたのはこの頃か。
東京へ観に行ったコンサートからだろうか。
楽しい毎日だった。